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大谷翔平がプロ生活5年間で変えたもの スポーツライター 丹羽政善

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大谷翔平がプロ生活5年間で変えたもの

スポーツライター 丹羽政善2017/12/25 6:30

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画像AP通信

2014年11月に日米野球が行われたとき、米スポーツ専門局「ESPN」から依頼されて、後にエンゼルスに入団する大谷翔平のインタビューをしたことがある。

コンクリートの壁に囲まれた、東京ドームの一塁側クラブハウスの手前にある8畳ほどの部屋で大谷を待つ。その間、この程度かなとビデオカメラの高さを調節した。

しかし、部屋に入ってきた大谷が「よろしくお願いします」と言いながら目の前の椅子に座ったとき、慌てて三脚の高さを上げなければならなかった。

大谷の場合、何から何までそうして想定を超えていく。

それからおよそ3年。12月9日にエンゼルスの本拠地、エンゼルスタジアムで大谷の入団発表が行われた。

球場の外、正面入口前にステージを設置し、ファンにもそれを公開する異例の青空記者会見。壇上には、今回の交渉でゼネラルマネジャー(GM)のビリー・エプラー氏、マイク・ソーシア監督のほか、オーナーのアート・モレノ氏の姿もあった。

ソーシア監督、エプラーGMの順でスピーチし、続いて大谷がマイクの前に立つと、ファンの声援に少しはにかむ。日本ではなかなか見せなかった無防備な笑みを、カメラマンらは逃さなかった。

“Hi, my name is Shohei Ohtani!"

大谷がまず、そう自己紹介すると、ファンが手を打ち鳴らして応じる。

その後、質疑応答に移り、どう起用するのかを問われたソーシア監督が「二刀流選手としてプレーさせる」と話すと、再びファンの声援が澄みきったカリフォルニアの青い空に響いた。

隔世の感を禁じ得ない。

14年9月のこと。当初、日米野球で大リーグ選抜の監督を務める予定だったレンジャーズのロン・ワシントン監督(当時、現ブレーブスコーチ)にインタビューをし、大谷の二刀流の可能性を聞くと「無理だ」とにべもなかった。

「たとえば、走塁のときに捻挫や肉離れを起こしたらどうする? 接触するケースもあるだろう。そこでケガでもしたらどうする? 打席で、右肩に死球をくらったらどうする? とにかく、両方をやるにはリスクが大きすぎる」

まるで娘から「IT(情報技術)企業でプログラマーをやっている」と彼氏を紹介されたとき、はなから取り合おうとしない頑固おやじのようでもあった。だが、日米野球が始まってからコーチや選手らに取材すると、それは彼一人ではなかった。

「興味深い」と話す選手がいないこともなかったが、だいたい、こんな言葉を耳にした。

「どちらか一つで成功するのも大変なこと」「大リーグは日程が厳しい」「起用法が難しい」

ところが、あれから3年。12月に入って大谷のポスティングシステムの手続きが始まると、大リーグの各球団は二刀流を前提にこぞって手を挙げた。

大リーグの球団幹部や代理人が集まる11月のGM会議で、ツインズのサド・レバインGMがこう言っていたのが印象に残る。

「今どき、どちらかに絞るべきだなんて言っているチームがあるのだろうか」

今の時代にはそぐわなくなった古い体質を伝統という言葉で美化し、何かと保守的な大リーグが大谷の可能性を過小評価していたことを認めたのである。

もっとも、さらに話を遡ると、大谷自身も二刀流ができるとは考えていなかったようだ。高校を卒業する時点で大リーグ挑戦を考えた彼はそのとき、「どちらかに絞らなければならない」と考えていたそうだ。冒頭のインタビューで、こう話している。

「僕を高く評価してくれたチームは投手で、ということだった。僕もそのつもりだった。あのとき、メジャー行きを決断していたら、投手を選んでいた」

日本ハムから指名されたときも、二刀流のプランを示されなければ、大谷は頭を悩ませていたに違いない。

いずれにしても12年秋の時点では、大谷ですら二刀流の将来像を描けないでいた。

評価が変わったのは昨年のこと。

投手として10勝4敗(1完封を含む4完投)、防御率1.86、打者として323打数104安打、22本塁打、67打点、65得点という数字を残した。シーズン終了後に「日本のベーブ・ルースには2億ドル(約226億円)の価値がある」などと、米メディアがスカウトらの評価を引用しながらあおり始めた。

2億ドルの価値があるかどうかは別にしても、二刀流でも通用すると考える人が確実に増えた。

ただ、入団会見の日、エプラーGMがこんな話をしていた。

「彼を初めてこの目で見たのは彼が日本ハムに入団した13年のことだが、15年8月の記憶が今も頭から離れない」

このとき、エプラーGMはヤンキースのプロスカウトのディレクターとして来日し、千葉へ足を運んだ。そこでネット裏の記者席でスピードガンを構えながら、リポートカードに記入しているとき、こう感じたのだという。

「この選手は特別かもしれない……」

当時の記録をたどると、大谷は15年8月18日、QVCマリンフィールド(現ZOZOマリンスタジアム)で行われた試合に先発すると、6安打でロッテ打線を完封した。大谷がそのシリーズで打席に立つことはなかったものの、エプラーGMにとってはこのときが、二刀流として起用してみたいと考えた原風景だったそうだ。

それにしても、5年前は大谷でさえ、大リーグの二刀流をイメージすることはできなかった。大リーグの各球団、そして大リーガーらも3年前の段階では、日本だからできることという程度にしか捉えていなかった。それが、この5年で大谷は「こうであるもの」という概念を変え、メジャー関係者に「二刀流をやらせてみたい」という期待感を抱かせるまでになった。

なお、14年に行ったインタビューでこんなことも聞いた。

「5年後も二刀流を続けていると思うか?」

すると大谷は「今はわかりません」と正直に答えてから、続けた。

「僕も、僕の未来に興味があります。二刀流を続けているのか、どちらかを選んでいるのか、自分にもわからない。だから、誰にも想像ができないんじゃないでしょうか」

インタビューから3年が経過した。2年後にはインタビューから5年になる。

あのとき、5年後の自分がどうなっているのかわからないと口にした大谷だったが、今はもう自分が大リーグでどんな軌跡を描いていくのかイメージができているのではないか――。そんな気がしてきた。
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最終更新日2018-12-05
Posted byたまごバナナ

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